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2009年1月

2009/01/24

帰ってきたpomera

KING JIM: デジタルメモ「ポメラ」DM10 ソフトウェアアップデートのご案内

ということで、16日にKING JIMへポメラを送ったところ、本日返ってまいりました。

送付する前に、お客様相談室へキーボードの不具合の件を伝え、修理も一緒にしてもらえるか確認してみました。“修理は修理で、改めて……”と言われると思っていたんですが、あっさりと「あわせて確認させていただきます」とのこと。それならと、保証書と一緒に送ってあったのです(ソフトウェアアップデートだけなら、保証書は不要)。

Webでの案内だと2~3週間は掛かるとのことだったので、来月の頭に戻ってくれば御の字だなと思っていたのだけれど―しかも、修理もあるしね―、思いのほか早かった。

キーボードも直ってる。修理内容を確認したら……「本体交換」。

うひょ。新品ですよ。

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2009/01/10

黒百合

ほぼネタばれになるので、該当箇所をdiv要素のnetabareクラスでマークアップし、背景色と文字色の属性を同じ色にしました。ユーザースタイルシートを利用してブラウジングされている方で、多島斗志之『黒百合』を未読の方がいらっしゃいましたら、ここから先の閲覧は避けることをお勧めします。

1月1日付のトヨザキ社長の駄々な日々で、豊崎由美さんが多島斗志之『黒百合』について、何点が疑問をあげていらっしゃいます。意外に思ったことがありましたので、以下に記してみます。

一週間以上前の記事へのコメントで、時機を逸している感が強いのですけど、ようやく『黒百合』を読み返すことができたので。

ちょっと不便だったので、[ネタばれ表示]ボタンを押したら該当箇所を表示するように変更しました。JavaScriptをoffにしている方は、いままでと変わりません。

まず。

なんで、日登美は都合よく真千子に惚れたの?

これは順番が逆です。

たしかに日登美が《私》に「恋文」を渡したのが発端ですが、この時点で《私》が倉沢貴久男に復讐する意志があったかは疑問です。当然貴久男への恨みはあったでしょう(二章での倉沢家から受けた仕打ちにより、男性に対する不信が生じ、人妻を愛人とするまでになっています)が、倉沢家に対する執着はそれほど感じられないのですが。

恋文を渡され、その女学生に好感を覚え、少し年の離れた友人づきあい(というには密な関係ですが)をしている程度で。ただ、その女学生は倉沢家の人間だった――そこで、付き合いを続けるうちに芽生えた気持ちが日登美のことを可愛く思ってはいるが、しかしただそれだけなのだろうか。無邪気さにつけこんで彼女を利用してやろうという気持ちが、どこかにありはしないだろうか(P.114)という述懐に繋がっているのではありませんか?

日登美が同性である真千子に恋文を渡した点を、「都合よい」と豊崎さんは違和感を覚えていらっしゃいますが、わたしは気にならなかったんですよ。四章に最初に登場する「恋文」という文字列が、鍵括弧でくくられていることからも、わたしはこの「恋文」は、女学生が職業婦人に対して憧れを覚え、それを手紙にしたためて渡したもの、と考えていました(ラブレターというより、過剰な感傷と、自己愛と、夢想にいろどられた稚拙な熱烈なファンレターのイメージ)。113ページで、他の女学生からも手紙をもらっていることからも、真千子の車掌姿は女学院の生徒から凛々しく映り、ひそかに人気があったのでしょうし。

貴久男に近づくために日登美を利用しようとした、のではなく、日登美が《私》に焦がれたために、《私》はふたたび倉沢家に関わらざるを得なくなった、と考えた方が妥当ではありませんか?

男装の麗人のような車掌になり、女子高生と恋愛するのか

男装の麗人という表記に、違和感を感じました。後年、進は真千子の写真を見て、青年と勘違いしますが、それはあくまで進の先入観(運転手の制服を着ているのは男である)が思わせただけですよね? 戦時下、男性が出兵で人手不足になり、見込みのある女性が運転手となった。その記念に制服を着て写真を撮っただけで、男装しているわけではありません。

「日登美と真千子が顔を合わせないことがありますか?」

これ、わたしはまったく疑問に感じていなかったので、豊崎さんの指摘が意外でした。顔を合わせているとまずい……ですかね? お互いが近くにいることを認識していても、問題ないと思っていました。

最終230ページ。書棚の一隅に例の写真がまだ飾ってあった。日登美さんが撮ってくれた三人の写真

この写真は例のと強調されていることからも、151ページの植え込みをバックに、香りを真ん中にして三人で並んだ写真と考えてよいでしょう。その写真にその傍に置かれた幾つかの木の玩具は、もちろん、おばさんの作ったもの(230ページ)が写っていることからも、日登美が真千子の存在に気づいていており、その玩具が真千子が作った物だからこそ手元に置いてあると考えることもできませんか。小さい子供のいない倉沢家に幼稚なおもちゃ(P.12)で、小さい子供のためのもの(P.13)が置かれているのも不自然です。もちろんこの玩具は宝急デパートで市販されているものですから、倉沢家の誰かが購入しただけかもしれないし、(その描写はないものの)一彦がプレゼントしたものかもしれません(この写真が、151ページのものでなければ当然その可能性もあります)。


豊崎さんあての文は上記まで。せっかく『黒百合』についてネタばれする場所を作ったので、脈絡なくもう少し続けます。

この小説、技巧が凝らされていると感心したものの、初読直後はとくに良いものとまでは思っていなかったんですよ。これは、作者が多島斗志之さんだからということもありまして――。多島さんだったら、これくらい凝った作品書いても当然と感じてしまいました(多島斗志之、連城三紀彦、逢坂剛あたりは、騙りがうまくて当然と思ってしまう、読者のわがままをお許しください)。むしろ、六甲の女王なんて、赤い鰊の泳がせ方があざとくないか、などと……。出版社による紹介文芸とミステリの融合を果たした傑作長編。才人が到達した瞠目の地平!にも、文芸とミステリの融合という惹句にちょっと反発も感じたり。

が、もう一度121ページから123ページを読んでみたとき、想像力の乏しいわたしですら、どどんと込み上げるものがありました。付き合いのある女学生の兄から、混乱に乗じて殺されそうになる――としか見えてなかった情景が、かつて愛した男であり自分を裏切った男、その男に今度は殺されようとしていると判る――まったく同じ描写なのに、一度目と二度目で読者に与えるギャップがあまりに大きい。

あといくつか。

  • 奇数章の語り手は寺元(寺本進)で、偶数章の語り手は浅木(IIは一彦の父、IVとVIは一彦の義母)ですか(IVは結婚前ですから相田ですが)。

  • 第四章。初読時数ページほど、語り手は一彦の父かな、でもきっと違うなと、さてこいつは誰だろうと読み進めます。V以降で新司が登場しますが、やはり何作か多島作品を読んでいる者は半信半疑で読み進めてしまいますね。新司じゃないと読者が気づいたあとには、さらに、六甲の女王が控えているw

  • 喜代司も、浅木家が金持ちと思わなければ、恐喝なんてしなかったかもしれませんね。P.192、「ビュイックを買うぐらいの金はな、貯めてあるみたいやねん」。一彦のとっさの嘘が喜代司の命を奪いましたか。

  • 一彦の父が怪我をした香を背負わなかったのは、真千子からすべての事情を聞いており、倉沢家の娘に手を貸す気になれなかったから?(←これは違うだろうな^^;)

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